丹波新聞からのインターネットニュース記事


https://tanba.jp/2018/08/%e5%85%89%e7%a7%80%e8%8b%a6%e3%81%97%e3%82%81%e3%81%9f%e6%ad%a6%e5%b0%86%e3%83%bb%e6%b3%a2%e5%a4%9a%e9%87%8e%e7%a7%80%e6%b2%bb%e3%81%a8%e3%81%af%ef%bc%8f%e5%85%b5%e5%ba%ab%e3%83%bb%e7%af%a0%e5%b1%b1/


内容をコピーすると

丹波攻めの際、八上城がなかなか落城しないため、信長にせきたてられた光秀が自分の母親を人質に差し出した。その後、降伏した秀治らを信長が処刑。主の処刑を聞き、怒った八上城の兵たちが母親をこの松にはりつけにしたという伝説が残る。信長の勝手な所業と母の死が、「本能寺の変」の引き金の一つになったともいわれている


そうだったのか、母親を人質にだしたのか、ん~それは怒るでしょうね