織田信長 [歴史]
信長が落とした城の数を考えてもらいたい
数十はあるでしょう、その城の名前を変えたという話を聞いたことはない
例外として岐阜城がある
沢彦宗恩が提案をして岐阜と決まった話がある、沢彦宗恩は政秀寺を作った人だ
政秀とは平手政秀をまつったお寺だ
昔、私は漁師と一緒に仕事をしたことがあります。漁師は屋号で呼び合って漁をしていました。
屋号はどんな漢字なんだろうと思って漁師に聞いたことがあります。教えてもらった漢字は
当て字でしかも最近(昭和)の国語から習った漢字をつなぎ合わせているだけだと思った
呼び名で意思を伝え続けているだけで十分なのである
漢字がなくても全く困ることがないのだ
それと同じように貝の名前の言われも、文研と漁師の話とでは食い違いがある
なぜそんなことがあるのか、それは漢字で説明をするために勝手に作ってしまったのではないかと
想像するのです
信長が美濃を岐阜としたときに、信長は呼び名として「ぎふ」と言った
それを漢字にするときに、信長は「ぎふ」を「義父」という意味で呼んだのに
「義父」では問題がある、美濃の人たちの気持ちを考えればそうだろうと思う
「義父」とはだれなのか
それは信長の育ての親、平手政秀であろうと想像をしました
それで漢字を決める時に沢彦宗恩の提案する漢字に決まったのではないかと想像します。
コメント 0