織田信長 [歴史]
信長と三好の戦い(野田城と福島城の戦い)でのウキの中にある
石山本願寺の顕如の直筆
これを読んだ文章をコピーしました
信長上洛に就て、此の方迷惑せしめ候。去々年以来、難題を懸け申し付けて、随分なる扱ひ、彼の方に応じ候と雖もその詮なく、破却すべきの由、慥に告げ来り候。此の上は力及ばす。然ればこの時開山の一流退転なきの様、各身命を顧みず、忠節を抽らるべきこと有り難く候。併ら馳走頼み入り候。若し無沙汰の輩は、長く門徒たるべからず候なり。あなかしこ。
大阪出身の顕如ならば、関西弁をしゃべっていたと思うのですがこの文章には訛がないと思います。
書いた人が僧侶であるためでしょうか?
コメント 0