織田信長 [歴史]
言葉がコミュニケーションツールであったであろう
時代が戦国時代になり、それまでは戦いというのは自分の領土内の身内同士の戦いの内戦で
戦う場所はお互いにどこになにがあるのか知った地形だろう
戦国は行ったことのない土地に行き、行ったことのない城やその土地の国言葉(訛)での
戦いであったはずだ。
そんな状況の中で、地図をつくる仕事が発生してもおかしくはない
いや、地図がなければ戦うことはできないのだ
地図によって言葉ツールだけではなく、漢字ツールという新しいコミュニケーションが
発生したのだと思う。
それがいつからなのか?はわからないが、今川義元の田楽狭間の戦いの時に
今川が地図を使っていなかったのではなかったのか
地図がないということは、地理に詳しいものが先陣として道を開くというのが
考えられることではないだろうか
田楽狭間の戦いでの今川の先陣は以前自分の領地であった、松平元康と三河家臣
ドラマでは今川が天下統一を目指して京に向かうために大軍を率いたというものが多い
だから兵士は2万という数字が出てきたのだろう
そうであればもし織田を破って、その次に行くのは美濃になる
美濃の地理はどうしてわかるというのだ、地図がない時代だとしたら
家臣に地理に詳しいものがいるのだろうか?そのものが先陣になれるのだろうか
2万という数字と京に上るという話は嘘くさい
この戦いは織田の領地を奪うことだけではなかったのか
それであれば大軍は必要なかったと思う
信長の方も地図がなくても戦える地理
地理を知らない今川は、どこの山に登って戦いの本陣をおくという基本を忘れてしまったのだろう
それが戦いの勝敗を決めたのだと思う
今川は地図を持っていなかったのだ
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