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織田信長 [歴史]

時代を振り返って考えてみると、織田信長の時代を安土桃山時代とよばれている


安土桃山時代は戦国時代であると同時に安土桃山美術時代でもある


仏画から城の中を飾る巨大な絵を飾るようになった時代だ


その代表は狩野派、長谷川等伯。


地図は絵をかかないといけない


文字だけでは見る者には理解ができない


絵がないと距離感がわからない


地図を書くのに絵師を頼むことは自然なことではないだろうか


それが以前は仏画を書いていた絵師であっても不思議ではないだろう


絵がうまいだけではなく、戦法を考えやすい絵を描けることが必要ではなかったのか


地形の凸凹や湖の大きさや川の幅など、絵にわかりやすい描き方が欲しかったに違いない


絵師は地図を書く仕事を得て、さらにたぶん絵師を抱えることが


武士にとって権威の象徴であったにちがいないし、絵師を相手国に送るということは


先制布告を意味していたのかもしれないし、最新式の防犯カメラの役目だったかも


権威の象徴の絵が、本来の美術に戻ったのは


太平の世になって戦争がなくなったからではないか


その代表が長谷川等伯ではないか?



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