織田信長 [歴史]
自給自足時代のために欲しいものは自分で作ったものと交換して
手に入れるのが普通であったと思うが、欲しいものというのは作っている作物
はほとんど同じと考えると、海産物や塩という考えが当てはまると考える
よって農家には銭が手に入る手段がないのだ。
楽市楽座によって銭が流通するようになって
モノの値段がつけられるようになったわけです
今までは値段がついていないものが値段が付くことによって
価値観が生まれたと考えます
必要なものほど高く、人気があるのほど高いという価値感
食べるためだけに作っていたものが市場にて売る側が値段をつけるという形になり
売る側と作り手側にわかれ、またほしい側といらない側にわかれ
物の物々交換というものがなくなってしまったと考えます
さらに自分の作ったもの値段と自分が欲しいモノの値段の差に驚きが生まれたことでしょう
欲しいものを手に入れるためは銭が必要なのだが銭を手に入れる方法がない
ないということは手に入らないようになったことは民にとって大きな不満であったと思う
不満を武士に述べる方法が一揆であったと思う
銭に対しての対処の仕方が二つに分かれたと考える
一つは自分から兵になって銭を手に入れるものと、経済に不満をもつものにわかれた
乱暴な言い方をすれば、長男と次男の戦いと言ってもいいのではないかと思う
コメント 0