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織田信長 [歴史]

木下藤吉郎は針を売りに全国を歩いて商売をしていた、

また明智光秀も全国大名に仕官をするために歩き回っていたという話を聞く

前回にも書いた「通訳」が戦国時代に存在していたのか?

木下藤吉郎のちの、豊臣秀吉は全国大名の嫡男を「人質」として大阪城にいれ

小将軍団を形成したのが、「人質」だったのだろうか?

徳川家康が尾張で子供のころ過ごした経験で、言葉を取得して大きなチャンスを手に入れた

経験をもとに、秀吉もそれを真似て小将軍団をつくったのではないだろうか。

信長がローマ法王に謁見するために少年4人を使節として送り、謁見後に日本に戻る

時代が変わり、信長から秀吉に権力が移動し、少年4人は秀吉の報告をするために面会した際に

秀吉から家臣になるように命令された。それはたぶん、「通訳」というものが武家社会では

当たり前になっていたのではないかと思うのです。

秀吉は信長と違い、戦いをせずに和睦をすすめた人だ、それは信長より「通訳」を多く

家臣として雇っていたと想像できる。

また信長が外国に開国をしたのも、日本人同士でも会話ができない現状が当たり前なら

言葉が通じないから外国人を排除する理由がみあたらない。


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