織田信長 [歴史]
信長の苦悩を秀吉が改善し、秀吉の苦悩を家康が改善する
それによって国民の生活が変化したのだろう。
文体の言葉(今でいう標準語)は信長の時代になかったのだろうか?
ポルトガル人(イエズス会)が日本に到着して、信長に謁見するまでの時間か
謁見後、その次に謁見するまでの間に、信長の前にどれくらい日本語をしゃべれたか
それを信長に聞かせることが、最初の第一歩ではなかったのではないだろうか。
外人が日本語(尾張語)をしゃべったのを聞いた信長は、そのマジックの正体を
知りたいと思って不思議ではない。世界中をキリスト教普及を目的に出向くイエズス会
メンバーは、その国の言葉を習得するノウハウを持っていたと考えるのは当たり前だと思う
それはアルファベットであり、日本語のローマ字で覚えるという方法であったはずだ
日本人でさえしゃべれない尾張語を短期間でしゃべる外人に驚きは隠せなかったに違いない
信長の行動をポルトガル人が日記に残されている
その中に出てくる本能寺の変の記述の中に、明智光秀の行動が書かれている
信長と光秀の行動を細かく書かれているために、のちの信長伝記のもとになって
ドラマ化された際に描かれている。
このポルトガル日記に、ローマ字について書かれているのか?私はわからないので
やっぱり仮設であって、想像の域を超えることはできてない
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